中村哲さんの功績がスゴイ!功績や現地の人達からの悲しみの声も

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12月4日、とても偉大な方が亡くなりました。

 

パキスタンやアフガニスタンで活動なさっていた、中村哲さん。

銃撃を受けてナンガハール病院で手術を受けていました。

その後バグラムの米軍基地にある医療施設に飛ばすため空港へ。

その時に亡くなったようです。

御冥福をお祈り申し上げます…。

 

中村哲さんはどんな活躍をされた方なのか?

ここでは特に大きな2つの功績と、現地の人の声について調べてみました。

ハンセン病の治療と水路づくり

ハンセン病を中心とする医療活動

治療法は様々ですが、日本では抗菌薬の服用が一般的なようです。

民間療法では、瀉血(しゃけつ)療法もあります。

血液を抜いて治療する方法みたいですが、中村さんが現地で取っていた治療法はどうだったのでしょうか…。

現地では薬の調達は難しいように感じられますが…。

 

基本的に感染力はないですが、適切な治療を受けないと後遺症が残ったり感染したりします。

知覚麻痺などの後遺症は防げないケースもあるようです。

 

また、治療には短くても数ヶ月、長くて数年かかります。

その病気の治療のために現地で何年も頑張ってきた中村さん。

しかも一人だけではなく幾人の人を診てきたのでしょう。

知らない土地で何年も治療にあたるという行為、普通の人にはなかなかできませんよね。

 

井戸掘りや水路づくりを始めた

干ばつに苦しむ現地の人達のために、アフガニスタンで井戸掘りや水路作りを始めました。

クナール川からガンベーリー砂漠まで水路を作る「緑の大地計画」を実行。

 

しかもご自身は、0から河川工学を学んだとのこと。

0から学ぶって本当に熱意がないとできないことです。

それだけ現地の人達を助けたい思いがあったのでしょう…。

 

現地の人達も協力している中で、

「これで生活が楽になるよ」

「日本人は素晴らしいことを始めてくれたよ」

と晴れ晴れとした表情で開発に取り組んでいました。

その中には普段、武器を持って前線に立たなければいけない人もいたようです。

武器ではなく、つるはしで生活を立て直させたのです。

 

さらに後々のことも考えておられました。

自分がいなくなっても、現地の人だけで水路の維持や管理ができるように模索していました。

そうして色々模索した結果、「ガンベーリー砂漠に村を作る」ことに至ったようです。

治水の維持には機械に頼らない方法をとるため、蛇篭という方法を取っています。

さらに福岡県の山田堰をモデルにして用水路を完成させています。

こうして用水路も安定してできたことで、村を捨てた人々も戻ってきたようです。

 

日本のスイカは甘くて、持ち運びもしやすくて便利だ!と現地の人と中村さんがお話されている光景もありました。

この際、現地では村の一人一人に作りたいものを指示していたとのこと。

用水路を作るだけでもすごいのに、現地の人達一人一人と向き合っているのがよくわかります。

現に開発中の映像で、現地の人達はとても和やかに中村さんとお話していました。

 

日本からも現地の人からも上がる、悲しみの声

日本人からも、アフガニスタンの人達からも信頼されていた中村さん。

亡くなった当時、現地の人達が集まった時に中村さんのポスターがありました。

 

そこには、

「あなたはアフガニスタン人として生き、アフガニスタン人として亡くなった」

「あなたを守ることができなくて、ごめんなさい」

と書かれています。

 

インタビューでの様子は非常に痛ましいことこの上ありませんでした…。

現地の人達がどれだけ、中村さんを慕っているのかがよくわかりますよね。

 

またツイッターでも、中村さんの似顔絵が上げられていたりもしました。

ツイッターでも色々な人たちの悲しむ声が聞こえてきます。

 

まとめ

過去にも襲撃に遭い、亡くなった周りの方を悼んで自分以外を帰還させたことがありました。

こうしてみるだけでもかなりの人格者であることがわかります。

主に今回は、

  • ハンセン病の治療に取り組んでいた件
  • 井戸づくりや水路作りをして、更にその後のケアも模索していた

という2点についてお話しました。

改めてご冥福を祈ります。

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