金栗四三のストックホルムへの旅費費用は自費?有名なゴール話を紹介!

有名人

2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺)」が最終話を迎えました。

2019年12月15日に最終話第47回が放送されましたね。

金栗四三(かねくりしそう)さんが日本人で初めて参加したストックホルム大会。

そのマラソンで起きた突然の悲劇が明かされているお話も含んでいます。

 

当時、この大会に出るために金栗さんはストックホルムまで遠征をしなければなりませんでした。

この時、旅費などの費用はどうしたのか?

自費だったのか?

いくらだったのか?

また他にも金栗さんのストックホルムオリンピックでのゴールの行方や、名言についても少しご紹介していきます!

 

旅費の費用は自費ではなく、家族や寄宿舎の仲間たちの支援

明治45年、ストックホルムに向けての旅費が必要になった金栗さん。

交通費や宿泊費、食費など諸々を含めて約500万円ほどが必要でした。

ですが当時の金栗さんは学生。

そんなお金があるわけもありません。

 

このストックホルム大会に出ることは、日本の名誉でもあると国も自覚はしていたようです。

なので本来は遠征費は国が支援するつもりでした。

しかし文部省に反対されてなかったことに…。

日本人が初めて出るという大変な名誉を背負って、しかも本人は周りに背中を押される形で出発しています。

それなのに支援がないって…。

 

ですがそんな中、支援してくれる仲間たちや家族がいたんです。

それは、東京高等師範学校の寄宿舎の仲間たちと、熊本の兄の金栗実次さんが支援してくれました。

仲間たちからは約420万、兄は約80万を支援してくれたんです。

寄宿舎では「金栗四三後援会」というものが立ち上げられたとのこと。

 

こうしてたくさんの仲間と家族に見守られ、ストックホルムへと旅立ちました。

この方たちがいなかったら、今の金栗さんの伝説は生まれなかったんですよね。。。

そう思うと非常に感慨深いです。

 

ゴールは長い年月をかけてゴールテープを切っています

ストックホルムオリンピックの出場中、金栗さんは途中で棄権しています。

というのも現地の気温に原因がありました。

 

ストックホルムは大会当日、30度という猛暑でした。

さらに夜も昼も日は沈まず、暑い中で就寝しなければなりません。

金栗さんは睡眠不足のまま、コンディションを整えることもできず大会に挑むことになってしまいました。

あまりの暑さに、出場した多くの選手が日射病で断念してしまいます。

金栗さんも例に漏れず、26.7キロ地点のコースの外れの林の中で倒れてしまいました。

そこを日本の林中佐と東京帝大の友枝助教授に発見され、近くの一般家庭で介抱されることに。

 

ですがこの時、棄権の意思が運営に届いていなかったようです。

金栗さんは競技中に失踪して行方不明扱いにされていました。

そこでストックホルムオリンピック委員会は、「五輪55年祭」に金栗さんを招くことに。

足を運んだ先には、かつてゴールが叶わなかった場所でした。

案内された先に用意されていたのは観衆と役員。

そして100m先にゴールテープ。

それを走り切ってゴールテープを切った時、

 

「日本の金栗が今ゴールイン。タイムは54年と8カ月6日5時間32分20秒3。

これにて第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」

 

とアナウンスが流れたそうです。

約55年間の長い年月にわたるゴールが、委員会によって実現されたのです。

委員会側もすごく粋なことをしてくれますよね!

感動の拍手と歓声が沸き上がる中、金栗さんは

「長い道のりだった。嫁もいて、子供が6人、孫も10人できた」

とコメントしていたようです。

本当に長い間お疲れさまでした…!!

 

旅費やゴールについて、有名な名言など

今回は金栗さんの旅費や有名なゴールの逸話についてお話しました。

  • 旅費は自費ではなかったが、約500万を仲間や家族に支援してもらった
  • ゴールテープは55年振りに切ることができた

とわかりました!

特にゴールテープのくだりは本当に泣けるものがありますよね。。。

「体力、気力、努力」も志していきたいところ。。。

私自身諦めが早いので、もっと粘り強く生きていきたいところです(;´・ω・)

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

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